林田山文化園区、通称「森坂(摩里沙卡、MORISAKA)」。ここはかつて、戦時中に資源が不足したことから日本によって開発が進められた、台湾東部の有名な造林地でした。1960年代に全盛期をむかえ、一時は「小上海」とも呼ばれていたそうです。ところがその後、ヒノキの伐採を禁止する国の政策が実施されるにつれ、職人や作業員たちは次第に撤退、もとの賑やかさともども風のように去ってしまいました。
現在の森坂はというと、時を経た町の、そのノスタルジックな雰囲気に魅了された見物客が各地から訪れています。すっかり観光地化した現在の文化園区は、伐採場や運搬車両、ヒノキで造られた家などが完璧に保存されていること、周辺の自然景観が美しいことなどから、「花蓮の小九份」とも呼ばれているそうです。
日本家屋、作業用機械etc...一大産業がのこしてきたもの
文化園区の真ん中にある駐車場へ車を止め、そこから周囲の遺跡や展示室を歩いて周ります。まずは日本式家屋が立ち並ぶエリアへ。きれいな建物は新しく建築されたものらしく、このあとに出てくる平屋の小民家なんかと比べると、その違いは一目瞭然です。
当時使われていた機械工具がそのまま残され、こうして屋外に展示されています。
木材を運ぶための長いレールも、当時の姿のまま。もちろん今は稼動していないので、自由に立ち入って記念撮影ができます。このあたりは少々足場が悪いので要注意です。
気になるので登ってみました。途中、階段の脇に古い小民家が建っています。人は住んでおらず、誰も手をつけていないのかかなり雑然としていました。
左の写真は、同じく階段の途中から抜けられるようになっている通路です。木を組んだだけの軒のようなものが、わずかに生活感を感じさせます。
階段をのぼって門構えを越えると、木でてきた展望台と小屋のようなものが建っていました。後ろにあるのは、以前は小学校だった建物だということです。広場にはひのきの木彫刻がいくつか展示されています。子どもが登って遊べるぐらい、大きくてダイナミックな芸術作品です。
もと来た階段を降りて、再び先へ進みます。すると今度は、今まで地を這っていたレールが陸橋のようになっているのが見えました。さすがにここは渡ると危険なので、遊歩道から眺めるか、線路の下側へ降りて見上げるかのどちらかです。
遊歩道から下をみると、木造瓦屋根の民家が立ち並んでいます。林業で栄えた時期には、作業員が400人あまり、その家族を含めると1000人以上もの人たちがこの一帯に暮らしていたといいます。現在はすべてのシャッターが降り、とても寂しい雰囲気。ただそれもまた、今となっては観光の一部となっている貴重な古跡群なのです。
日本式茶屋&木工職人、渾身の作品たち
この改築されたきれいな木造家屋は、この文化園区唯一のカフェです。当時は位の高い人だけが住める宿舎だったのだと聞きました。靴を脱いで座敷に座る日本スタイルで、外にはテラスもあり、ゆったりとティータイムを楽しめます。ここが観光向けの新しさを感じる唯一の場所かもしれません。
木彫刻の展示室へやってきました。どの作品も、これが本当に木なのか?と思わされるほど、細かく丁寧に作りこまれたものばかりです。ここに限らず、台湾では手先の器用さを生かした芸術作品が多く、そのクオリティの高さにはいつも驚かされます。
冒頭で、「小九份」と呼ばれているとお伝えしましたが、実際に歩いてみると、その雰囲気は少し違っていることに気づきました。金の採掘で栄えた九份といえば、昭和の音楽が流れ、土産物やグルメ店、お洒落カフェも数件あり、夜まで人でにぎわう町です。
一方ここ林田山文化園区はというと、寂しくなってしまった町をそっくりそのまま残しているというかんじで、むしろそこがみどころだといえます。保存されている家屋や機械工具を見て、当時はどんなに繁栄していたのだろうか、という想像力を沸き立たせる町。どちらかというと、九份からほど近い、「金瓜石博物園区」に雰囲気が近いという印象でした。
こういった場所柄、ホテルが提供するツアーや車をチャーターするとアクセスが便利になります。古跡や産業遺産に興味のある方はぜひ立ち寄ってみてください。
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【林田山文化園区(森坂)】
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