台湾には現在、政府が認定しているだけでも14民族の原住民が暮らしています。なかでも、数にしてもっとも多いのが「阿美(アミ)族」です。
そんな阿美族の文化や暮らしを体験するべく、花蓮市にある「吉籟猟人学校(CIDAL Hunter Scool)」へおじゃましてきました。ハンタースクールという名はついてますが、決して野蛮な遊びを教えているわけではありません。狩りのほか、生態観察やDIY、ダイビング、林間合宿など、海・山・川という大自然の中でさまざまプログラムから阿美族の文化を教わることができます。
阿美族について
農業、畜産業、漁業を主に営み、歌手やスポーツ選手、政治家など著名人も多く輩出しています。派手な衣装で歌やダンスを披露するアミ族の伝統行事、「豊年祭」はとくに有名です。
Photo:台湾原住民族文化区
吉籟猟人学校の設立
この学校を設立したのは、阿美族のひとりである法拉さんという男性と、その奥さんです。近年、阿美族の貴重な技術や知識は、世代が変わるにつれ次第に忘れられるようになっていました。多くの阿美族の子どもたちは、自分がまいにち口にする食事がどのようにしてテーブルに並べられているのかを知らないといいます。
山の子は山を忘れてはならない―。これが、「吉籟猟人学校(CIDAL Hunter Scool)」を立ち上げたきっかけだそうです。ある授業ではハンター精神を、またある授業では、原住民の文化や大自然のすばらしさを、観光と結びつけながら伝える活動を続けています。
海の授業-カニ獲り
集合場所は花蓮のとある海岸沿い。あいにくこの日は曇り空だったのですが、意外と紫外線が強いので、サングラスと日焼け止めクリームの準備をして向かいました。まずはここで、砂浜の中に隠れているカニを自力で捕まえる授業です。
まずはベテランハンターから、カニの上手な捕まえ方について説明を受けます。 エサとなるイカを串に刺し、それを砂浜に埋め、寄ってきたところをキャッチする作戦です。
用意されたカゴに、イカ串を刺した周りの砂を手でかき集め、ふるいにかけるとカニだけが残るというしくみになっています。言うは易し、それほど簡単にいくのかどうかはまだ半信半疑です。
先生のお手本を見せていただいたあと、つぎは私たちの挑戦です。波が引いた瞬間に串を刺し、10分ほどそのまま放置します。
ちなみにこの先生がかぶっている帽子は手作り。器用に編みこまれているのがわかります。串を砂浜に刺してカニを待つあいだ、阿美族ではおなじみの、頭につける飾りを皆で作りました。これが案外難しい!
頃合いを見計らい、刺した串の近くにさきほどのカゴをグイッと食い込ませ、砂浜をかき集めます。波が来るとすべて流されてしまうので、ここは手早くがポイント。湿った砂浜はあんがい重く、中腰の体制で作業するのはなかなか大変です。
波が押し寄せるギリギリのところまで砂かきをねばった末、私が捕獲できたのはたった1匹…。ちなみに先生のお手本では、大小あわせて5~6匹ほど捕まえられていました。プロの実力を思い知らされます。(ちなみに捕らえたカニは最後に全て海へかえしました)
山の授業-狩りの擬似体験と火おこし
続いては山中の狩り場へやってきました。こんどは山での授業です。ひとりの先生が、植物の茎を叩いて裂きはじめました。
裂いた茎をいくつか重ねてよじると、細くて頑丈な紐ができあがりました。山の植物は持ち帰って食べるだけでなく、このようにさまざまな用途に使われます。生活に必要なものはすべて自然の中から調達しなければならず、一つひとつが豊富な智恵と経験の賜物です。
また、「カジノキ(構樹)の花が咲けば、トビウオが旬の時期を迎える」といった具合に、草花たちを観察することで、こよみを把握することもできるのだといいます。
なにやらこんどは、細い枝を地面に刺し、グイッと反らせます。よく見ると先端には輪と止め具が。実はこれ、鳥を捕まえるための仕掛けだったんです。先端部分を歩くと輪が締まり、足を捕らえられてしまいます。
話しが少しそれますが、山へ来てから気になっていたのが、先生たちが腰から下げている大きなナイフです。なんと阿美族は、5、6歳から自分のナイフを持ち始めるだとか。力を使う作業も多く、自然と体が鍛えられるというのには納得です。
ここでは実際の鳥を捕まえるわけではありませんが、自分の手を鳥の足に見立て、実際にどうやって捕獲されるのかを試しました。手が触れると、いっきに輪が締まる仕掛けは見事です。
次に竹を使った火おこしの体験です。もちろん、マッチやライターなどは使用しません。ここは学校長の法拉さんがお手本を見せてくれました。
竹と竹をこすり合わせた摩擦で、お手製の火種に火をおこします。力とスピードが必要とされる作業ですが、学校長・法拉さんの手に掛かればお手の物です。10分足らずのうちに、みごと焚き火状態に。簡単そうに見えて、じつは幾度も経験を重ねたからこその技術です。実際に参加者たち皆でチャレンジしてみましたがなかなかうまくいかず、先生たちの手を借りてようやく火をおこすことができました。
この貴重な火を利用して、仲間全員の食事を作ります。食べ物に溢れた現代ですが、元来、食べたいものを食べたいだけ食べるなんていう状況は、決して当たり前なことではありませんでした。だからこそ、共に苦労と恐怖を分け合って狩りに挑み、手に入れた獲物もまた、仲間でシェアするのがルールなのです。
「ベテランハンターと接してみて、自分の考えが浅はかだったことを知りました」
そもそも法拉さんが、阿美族の文化を伝承していきたい!と考えたとき、自分の知っている運動やアクティビティを自分なりに伝えるという方法で果たして良いのだろうかと、ずっと考えていたそうです。そこで他のさまざまな集落へ足を運んでみたところ、ベテランの猟師たちが積極的に自分らの文化を伝えようと努力する光景を目にしたといいます。
自分の考えは浅かだった…。彼は、親戚や友人、ベテランの先輩たちに聞いてまわり、子どもの頃の記憶を取り戻すことに努めました。そして、真の狩りとはどんなものなのかを追求したのです。学校設立と同時にスタートをきった若いメンバーが3人。将来はベテランのハンターを目指す3人が、技術を習得し、観光客に教えるようになる前に、まずは自分がきちんと習得しなければ、という強い思いもありました。
法拉さんの奥さんもまた、もともとやっていた美容関係の仕事をやめ、ハンタースクールの経営を手伝っています。ハンタースクールの設立に対しては、多くの誤解や批判があったそうです。「自分たちの利益のためだけに集落の資源を使っている!」こういったマイナスな声ばかりが聞こえてきたときも、奥さんはあらゆる方面において、全力で支持し、法拉さんの事足りない面にも手を貸してくれたといいます。
学校長の法拉さんが一番に伝えたいこと。それはこのハンタースクールで、旅行客や台湾で暮らすより多くの新住民たちに、命の大切さを知り、大自然を愛し、またその偉大さを理解してほしいということです。自分たちが始めなければ、もう次の時代へ伝えていける人はいない。阿美族として生まれた責務を担う、若き伝承者が立ち上げた学校は、現在、国内外問わず多くの参加者が来訪し、メディアにも度々取り上げられ、人々の理解が少しずつ深まりはじめています。
【吉籟猟人学校(CIDAL Hunter Scool)】
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