な実は台湾ひとり旅の中で、私が今までで最大の「奇跡」だと思えた出来事があります。
なんと、知らない人の家に、たったひとりで2週間あまりも滞在したのです。
どんな人と出会い、どういった経緯で2週間あまりも泊まることになったのか。今日はそんな奇跡的なストーリーの一部始終をお話ししたいと思います。
出会い
2013年3月下旬、北部・淡水はまだまだジャケットが手放せない時期でした。到着して2日目、生粋の台湾人である我が中国語の先生に「このへんで一番美味しいから」と言われ、とあるご飯やさんへ2人で入店。
私たちが注文を終え、料理が運ばれるのを待っていると、50~60代ぐらいのご夫婦が同じテーブルに来られました。個人が経営する小さな店では相席が当たり前です。
私たちが注文を終え、料理が運ばれるのを待っていると、50~60代ぐらいのご夫婦が同じテーブルに来られました。個人が経営する小さな店では相席が当たり前です。
運ばれてきた料理を口にし、あまりの美味しさにひとり感動をあらわにする私。そこへさきほどから相席していたご夫婦のおじさんのほうから声を掛けられました。
「君たちは日本人なの?(台湾語)」
中国語なら少し理解できるのですが、台湾語となるとさっぱり。すると即座に我が中国語の先生が答えます。
「私は台湾人、彼女は日本人です」
それを聞いた男性は、私がなぜ台湾に来ているのか、仕事は何をしていて、どこに泊まっているのか、先生を通して尋ねました。先生は、それを私の代わりに伝えます。そしておじさんは言ったのです。
「まだ3週間近くいるんだろう?ホテルに泊まるとお金も掛かるじゃないか。うちには使っていないマンションの部屋が1室あるから、そこに泊まりなさい」
ご夫婦はすでに現役を退かれ、淡水の自宅に住みながら、マンション経営をされているとのこと。使っていない部屋に泊まれば良いなんて、初めは冗談だと受け止めていました。それは台湾人の先生も同じです。そこへ奥さんがつづきます。
「どうしてあなた(先生)は彼女を家に泊めてあげないの?女の子一人なのに、心配じゃない!」
断っておきますが、私と先生とは年齢も近く友人のような関係です。当然彼の家に泊めてもらうことなんてありえませんし、すでに宿の予約も済んでいます。そのことを先生から伝えてもらいました。
「なら、なおさらうちに泊まったらいい。宿なんてキャンセルすれば良いんだよ。私たちは普段その部屋は使っていないし、近くに来たらたまに休憩で寄るだけだ。防犯設備もしっかりしていて電化製品もそろってる。それに窓からは向こう岸(八里)の景色が一望できるんだ。心配なら一度見に来たらいい」
メニュー用紙の裏に部屋の間取り図を書きながら話すおじさんを見て、本当に本気なのだということに私たちは気づきました。屈託のない笑顔で話すご夫婦に、悪意があるとは思えません。
とはいえ、相手はたった今知り合ったばかりの見知らぬ人。ふたつ返事でお世話になるわけにはいかないのが当然です。
「明日からしばらく地方に泊まるんです。予定がわからないので、お世話になるときは改めて連絡させてもらいます」
先生からそう伝えてもらい、連絡先を交換してその場をあとにしました。翌日から本当に地方へ泊まる予定だったので、その間に決断しようと思ったのです。
―― 確かに、宿に泊まらなくて済むなら宿泊費はかなり浮く。安宿とはいえ、2週間以上も泊まれば結構な額だ。それより気になるのは、いくら金銭的に余裕があるとはいえ、2人にとっては何の得もないうえに、家の中で知らない間に何をされるかわからないっていうリスクもある。単に良い人なだけなんだろうか。仮に企んでいるとしたら何だろう、やっぱりお金・・?
決意
好奇心と猜疑心の両方が入り混じり、どういう判断をしたら良いのか自分でもわからなくなっていました。
「確かに僕の目から見ても、悪い人たちではないと思う。だけど女の子だし、何かあったらと思うと心配だよ」
生粋の台湾人が不安視するのだから、やはりこれが普通の習慣ではないことがわかります。しかし、私の気持ちはドンドン好奇心のほうへ揺すられていくのです。
―― もしかすると、私は疑いすぎなのではないだろうか。本心から私のことを考えてくれているのであれば、ここで断ることで、せっかくの気持ちを踏みにじってしまうことになるかもしれない。
本当は、心のなかですでに答えが決まっていました。ただ、これほど奇妙でおかしな展開が現実のものとは思えず、決断できるような、なにか決定的な理由を考えていたにすぎなかったのです。思い切って決心し、先生を通じてご夫婦のもとへ連絡してもらいました。
一週間後に再び淡水へ戻り、早速ご夫婦の空き部屋に案内してもらいました。高層マンションの上層階、ドアを開けると、白で統一された清潔感のある、だだっ広い3LDKの室内。たまにしか寄らないとはいえ、手入れが行き届いている印象でした。
「こんなステキなところに、本当に一人で住んで良いのだろうか・・・・・・」
私が口をぽかんと開けていると、おじさんから部屋の鍵を渡されました。ここに泊まる約束ごとは2つです。部屋でパーティーを開かないこと、固定電話で日本へ国際電話を掛けないこと。
先生を交えて皆で少し雑談をしたのち、ご夫婦は足早に自宅へ帰っていかれました。
なんとかなるでしょー!という本来の楽天さを、私は取り戻していました。対して先生は、まだそわそわと心配している様子です。
アフタヌーンティー
先生の心配をよそに、翌日からの私は悠々自適な生活を楽しんでいました。インターネットこそできないものの、一歩外に出ればWiFi環境なんて日本より整っているので全く問題がありません。
夜になりベランダに出てみると、台湾の富士ともいわれる八里の観音山、ふもとでキラキラ輝く町の夜景が贅沢に一望できます。
ただここでひとつ、気がかりなことがありました。私が昼間のほとんどを外で過ごすのに対し、ご夫婦がマンションに寄られるもまた日中のあいだ。こんなにまでしてもらっているのに、コミュニケーションの時間が全く持てていなかったのです。
そこで私はご夫婦を食事に誘ったのですが、「そんなことしたらお金が掛かるだろ。気を使わなくていいからちゃんと楽しみなさい」と言われてしまいました。
そう言われてしまっては仕方がないので、代わりに私が借りている部屋で『下午茶(アフタヌーンティー)』をしたいことを伝え、それでようやくOKをもらったのでした。
当日は、台湾語が話せない私のために先生もご一緒してくれました。台湾茶を準備し、南国フルーツや老街で購入したケーキをテーブルにならべ、アフタヌーンティーの始まりです。
はじめは、私がちゃんと旅を楽しんでいるかという話や、夜市ならここ、地方都市ならあそこなどといろいろな情報を教えていただきました。
しばらくしてご夫婦は、現在の生活にいたるまでの経緯について話し始めました。
兄弟が多く貧しい家に育ったおじさんは、退役後、実家に寄らず働くために直接台北へ出てきたということ。力仕事をしながら、夜はバイトに行き、死に物狂いで働いて生計を立てていたということ。
そんなおじさんに着いていくと言ってくれた現在の奥さんには、大変な苦労を掛けてしまったと言います。だからせめて、奥さんが働きに行かなくても良いように、お金に困ることだけはないようにやっていった結果、マンション経営にいきついたのだそうです。
一方、私も私で、ちょっと複雑な家庭環境の中で育ったひとりです。普段人に話すことは滅多にないのですが、両親がいないことやその理由など、聞かれたことは包み隠さず話しました。
「ひどい話だ!」と奥さんは憤慨しておられました。どうやら日本人に対して持っていたイメージとは少し違ったようです。私は、みながそういう人ばかりではない、と話すにとどめました。せっかくの楽しい時間を、私の身の上話なんかで思いムードにしたくなかったからです。
きっと私に両親がいれば、こんな風にケーキやフルーツを食べながら談笑することもあったのだろう。そう思うと切なくもあり、同時に、まるで自分の両親と話しているかのような、穏やかな気持ちになれた時間でもありました。
別れ
アフタヌーンティーをした2日後、とうとう日本へ帰る日がやってきました。荷物を整え、部屋の中をひととおり掃除し終えると、ご夫婦が鍵を受け取りにやってきます。
皆で記念撮影をして、いよいよ出発だというとき、おじさんが最後に言いました。
「これからは、あなたにとってのパパとママは私たちだ。あなたが嫌じゃなければ、そのように思いなさい」
私はグッと涙をこらえ、ただただ何度も頭を下げてお礼を言うことしかできませんでした。台湾のパパとママ。親はいないものだと、長年そう思い続けていた私にとって、これほど嬉しい言葉はなかったのです。
帰国後、お礼の手紙とともに、ささやかながら母の日のプレゼントを贈りました。台湾の父の日は8月なので、そのときにもまた、なにか贈り物をしようと考えています。
こんなドラマのような展開、正直今でも信じられません。台湾人の知人や友人も口々に、「いくら日本好きな台湾人が多いからって、考えられない!あなたは本当に運が良い人だ」と言われます。
縁とは本当に不思議なものです。なにが起こるかわからないから、旅って面白い。今年の秋にまた、私のパパとママを訪ねに、淡水へいってくる予定です。