「紅毛城と周辺の建築群」のひとつ、滬尾(こび)砲台へやってきました。「滬尾」とは昔の淡水の呼び名です。1886年、台湾海峡の防衛強化のため、澎湖・基隆・安平・高雄とともに建設されました。結局は一度も攻撃に遭うことがなかったために、ほとんどそのままの状態で保存されている貴重な古跡です。
門額には「北門鎖鑰」の文字が刻まれている |
サービスステーションで日本語のパンフレットをもらい、いざ施設の中を見学しに行きます。これまでこのブログでご紹介した淡水の古跡といえば、西洋風のおしゃれな建築物がほとんどでした。ところがこちらは軍事施設とあって、目の前を兵士が歩いていてもなんら違和感を感じさせない厳格な雰囲気です。それを象徴するのが、この砲台にたったひとつしかない門。暗いトンネルを歩いてくぐります。
四方を取り囲むコンクリートの壁は高さ約7メートル。普通の人がよじ登るのはまず不可能です。このあたりの土地は、今から200万年ほど前の火山活動によってできた傾斜のひとつで、淡水河を見渡すのに最適だということから砲台の設置場所に選ばれました。生い茂る木々や分厚く頑丈な壁があることで、外から発見されにくく、攻めづらい設計になっていることがわかります。
さきほどのトンネルのような入り口から中へ入り、階段を使って上へあがってみました。広場には、ただ芝生だけが広がっています。当時は射撃練習場として使われていたそうです。
内壁の中は、かつて弾薬室と兵士の部屋がありました。出入り口がやたらと多いのは、有事の際に行き来がしやすいようにするため。現在ここは資料を展示する部屋として使われています。
砲座跡のひとつ。整備不足の為か全体的に劣化が激しい。 |
砲座は全部で4つ、海に面するように設置されていました。こちらも周りは壁で囲まれています。当時はイギリス製の大砲が4つ配備されていましたが、それらは日本統治時代にすべて撤去されたのだそうです。
砲台を囲む壁の内側を見ると、砲弾の形をした穴があいているのがわかります。予備をここに置いておくためだったそうです。一つひとつ微妙に形や大きさやが異なるのが妙にリアルでした。こんな恐ろしい場所を、人の手によって造らなければならない時代が確かにあったということを思い知らされます。
とはいえ、学生の集団がにぎやかだったり、結婚記念アルバムの撮影地になっていたりするのには少々驚きでした。重要な軍事施設だったスポットも、年月が経てば楽しい場所・美しい場所に変身しているから不思議です。注目を浴びて人が集まることが古跡を残す意義だとすれば、理由はどうあれ役割は充分に果たされているんじゃないかとこの場所で感じました。
【滬尾砲台】
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